10月1日 檜原村地域交流センターにおいて、雑穀料理教室「檜原村・食文化探検」第一回を開催しました。
1.小麦の伝統食、団子汁を作る
最初は、団子汁作りからスタートしました。 団子汁はかつて檜原村の人たちの夕食として食べられていた日常食です。こねた小麦粉をしばらく寝かせた後、手で平たくし、指でつまんで少しづつ汁の中に投げ込んでいきます。汁の実は、白菜、ネギ、インゲン、しいたけ、間引き菜など、どこの家庭でも身近にあったような野菜たち、そして小麦粉は、当NPOで栽培した小麦を挽いたものを使いました。
今回の団子汁のレシピは、最近、スタッフが倉掛在住の信子さん(80歳代)に教えていただいたものです。こね方、入れ方に特徴があったので、最初にビデオ映像で、信子さんのやり方を見てもらいました。
その後、実際に作りました。こねる時は、参加者がみんなが力を込めてやったので、もちもちしたとてもおいしい団子の入った団子汁を作ることが出来ました。
小麦を石臼で挽いたり、それをこねたりするのは、かなりの力仕事。昔は大家族だったから、さぞかしたくさん作っていたのでしょう。昔の主婦達のパワーに驚嘆してしまいます。
2.増田先生のお話 「伝統的農業と食生活〜40年前の檜原調査から」
食後は、増田先生にお話をしていただきました。増田昭子先生は、昭和50年代に檜原村に通い、林業、農業(特に雑穀、麦類)、食生活、年中行事などを中心に民俗調査をされた方です。その成果は「粟と稗の食文化」(三弥井書店1990)にまとめられています。
最初は、檜原村に通うことになった経緯、当時の様子、雑穀を知るきっかけとなった伝承者との出会いなどについてお話されました。増田先生が調査されたフィールドは、NPOの拠点である藤倉、また畑の近くの宮ヶ谷戸など、わたしたちにとっても馴染み深い場所ばかりです。調べた年代は、伝承者の方が若い頃の昭和30年〜40年代が中心ということでした。
伝統的な農業については、檜原村出畑(いずばた)の宇田家所有の「牛五郎日記」(明治19年を中心にして)による栽培歴を見ながらお話を聞きました。家で所有する耕地の日当りや土の質にあわせて作られていた作物は、夏は芋類や雑穀類が中心、冬はほとんど大麦を作っていたことがわかります。使っていた肥やし(肥料)の種類やその作り方、使い方にも言及されましたが、それらは伝統的農業をやっていく上での大変重要な部分だったことが伺えます。
一日の食事は、間食などを入れると檜原村の場合は一日7回。麦類(大麦、小麦)や芋類中心でした。食事の回数や内容は、土地の地形や仕事内容や食事内容によって変化し、檜原村の場合は他の多摩地域と比べると回数が多いということでした。大麦や小麦の料理では、オバク、挽き割り飯、アオザシ、たらし焼き、といった現在ではあまり馴染みのない言葉がたくさん出てきました。麦(大麦、小麦)をめぐる多様な食文化があったようです。
3.お話を聞いて
檜原村だけではなく、全国の伝統的農業や食文化についての調査をされ、多くの著作を書かれている増田先生のお話は、いつまでも聞いていたいくらい興味深いものでした。又お話を聞いて、今回知った小麦、大麦の郷土料理を全部作ったり、味わってみたいと思いました。檜原村の食文化を考える時、麦はもっとも重要な作物です。そして、自分たちも10年以上小麦を育てて確信しているのは、昼夜の寒暖差や水はけの良い斜面で育つ檜原村産の小麦がおいしいということです。
幸い、檜原村の年配の方で、麦の食文化にとても詳しい方はたくさんいらっしゃいます。NPOとして、いろいろな方に実際に作ったり教えていただく機会をどんどん作っていこうと思います。 (川上玲子)