古道ハイク ~藤倉炭焼きの道をいく~が開催されました

梅雨の晴れ間6月24日(土)古道ハイク~檜原村藤倉 炭焼きの道をいく~が開催されました。

檜原村では古くから炭焼きが行われていましたが、今ではほとんど見ることはできません。

この日は、代々炭焼きの家で、ご本人も若い頃炭焼きをしていたという田倉栄さん(檜原村藤倉)を講師に迎え、炭焼きが盛んだった当時に思いをはせながら周囲の薪炭林や炭焼き窯跡を巡りました。また、もう一人の講師には、檜原村の石塔石仏を調査されている森満也さん(檜原村中里)を迎え、道端に置かれた石塔や、炭の運搬を担った馬の供養や安全祈願のために置かれた馬頭観音などについてお話をしていただきました。

出発時にこの日に巡るルートの約50年前の空中写真が配られました。まだ炭焼きが行われていた頃で、離れた一軒一軒の家の周りは広大な斜面畑に囲まれており、自給自足で一家の生活を支えていた暮らしがうかがえました。

手前から「藤倉校舎」「小林家住宅」「田倉家」

スタート地点は「藤倉バス停」(標高約480m)です。バス停の前に並ぶ石塔石仏について、ガイドのお一人森満也さんが丁寧に説明をしてくださいました。

ここは、藤倉校舎の場所にあった寒澤寺というお寺の入り口だった場所ですが、工事や学校建設の為に多くの石塔石仏がここに集められたようです。

子すがり地蔵、二十三夜講、寒念仏といった祈願のための石塔石仏が多く並んでいます。

少し進んだところには馬頭観音が並んでおり、ガイドの森さんから馬頭観音の説明を聞きました。

急な山道を転落して命を落としてしまった馬の供養や馬の安全祈願のために祀られた馬頭観音は、頭上に馬の頭を乗せています。年数が経ち可愛らしい顔に見えますが、多くは怒っている顔が多いそうです。戒める意味が大きかったようです。

石仏等に足をとめながら、秋川上流沿いを30分ほど、惣角沢(そうがくざわ)モノレール乗り場まで歩きました。

雨乞いの滝(がけ崩れの為現在は近くまで行くことはできません)の辺りから、山道にエントリーします。向かうのは今回の炭焼きの道ガイド田倉栄さんのご実家(屋号は「稗さす(へえざす)」標高約800m)です。

急な登り道を、先頭の田倉さんは83歳とは思えない足取りでひょいひょいと登っていきます。参加者のお一人で藤倉出身の方は、友達の家へ行くために、よくこの道を使っていたと聞きました。

50分程登り道を行くと、田倉さんのお宅の隣の大杉に着きました。根元から湧き出る湧き水「大杉の泉」を皆で頂きました。柔らかくとても美味しいお水が身体に染み渡りました。

そして田倉さん宅に到着です。

眺めの良いお庭で、田倉さんから炭焼きについてのお話を聞きました。

自作のイラストを用意して下さり、炭焼きの道具や炭焼き釜についての説明をしてくださいました。

炭焼きの一日:

朝6時に出発して大体炭焼き窯へ着くのが朝7時頃、焼け具合をみたり穴の調整(釜の温度の調節は煙突のようなところに石を置いて調整)をしたりした後、次に原木を伐り出しに行くそうです。11時ころ降りてきて、炭焼きで一番大事な「ねらし」(感覚的には「蒸らす」に近いようです)をしながらご飯をとり、できた炭を入れるための俵の準備をします。炭を掻き出し、出して土をかけて冷まします。釜の石はとても熱くなってなっているので、触れないようにしながら切り出してきた原木を投げ込むそうです。中は1200℃くらいとのこと。木は立てるように入れていくため、木が寝てしまったら棒で直す作業も行います。冷やした炭を秤で15キロにし炭俵を作り、釜に着火して穴を閉めて炭を持って帰宅する毎日。

檜原で作っていた炭は白炭という種類で、原木を入れて火をつけて翌日熱い炭を取り出すという作り方でした。1日で大体4俵ほど出来、一俵は300円ぐらいで売れたようです。ただ木を切る重労働と運ぶ手間がかかり、毎日12時間労働という炭焼きの仕事は大変で、どんどんやる人がいなくなっていったそうです。

田倉さんが話してくださる炭焼きの話は、教科書やインターネットだけでは知ることのできない大変貴重なものでした。

その後田倉さん宅の庭で昼食をとり元気をチャージし出発です。

出発してすぐ、田倉さんが最後に使用していた炭焼き窯の跡があり、説明を聞きました。

その後しばらくは人工林である杉林の中を登りましたが、尾根道へ出るころには広葉樹が増えてきました。足元の道には落ち葉が足が埋まるほど敷き詰められ、どんぐりが沢山落ちている場所もありました。シカの糞も多く見られ、動物の住みかはこういった所なのだなと感じられます。杉の木が人の手によって植えられる以前は、山はこうした広葉樹林広がっており、薪炭林として利用されていたことがわかりました。

尾根道を進んでいき、中ノ平遺跡に到着しました。

中ノ平遺跡

尾根の平坦地にある中ノ平遺跡は、昭和35年と昭和49年に発掘調査が行われた東京都内で最も標高の高い(標高950m)縄文遺跡で、7〜8000年前に縄文人が暮らしていたところです。 専門家が入り調査が進む前に、近くで炭焼きをしていた田倉さんやここを通る炭焼き夫さんらは「カメの壊れた破片」や「光る石」(黒曜石のこと)が出ると話していたようですが、炭を1俵でも多く焼くためにそれが何であるか調べている暇はなかったということでした。

中ノ平遺跡近くの田倉さんの使っていた炭焼き窯の跡

そこから皆で下山していきました。

国指定重要文化財の小林家住宅を見学し、少し休憩した後は、また下山ルートを歩いてNPO法人さとやま学校・東京の拠点「藤倉校舎」へ向かいました。

アイスコーヒーと、NPOで栽培した全粒粉小麦を使ったクッキーでおやつタイムをとりながら参加者の皆さんと今回の古道ハイキングの振り返りを行いました。

「実体験に基づくお話がきけた。」「今のパソコンなどで仕事する時代では森での労働・生活がとても遠い昔に感じていたが田倉さんたちのお話を聞くとそうでもない。」「人とその間にある温もりがうれしい。」「縄文土器を無造作に手に取ることができた。」「炭焼の跡がどんなものか見られて良かった。石仏の話が面白かった。」などの感想がありました。

ガイドをしてくださったお二人による真に迫る説明で、ただ通り過ぎてしまうだけの風景がとても心に残るものになっていきました。五感を使って歴史を知っていく「古道ハイキング」、今後も続けていきます。

(スタッフ:菅原)